琉球の古武術は、琉球の戦国時代といわれる按司(アジ)割拠の時代から三山時代において、実際の戦闘場面に用いられ発達したと考えられます。特に北山、中山、南山の各勢力がしのぎを削っていた三山時代には、グスクとよばれている城砦の建築方法などとともに、色々な武器を使っての戦闘方法が編み出されたのでした。
さらに、三山時代には中国との交流が少なかったことで、琉球独自の武術をつくりあげる結果となりました。

琉球空手のもととなったのは、この琉球古武術でした。
琉球の古武術「手」(ティーと発音される)と、中国から伝来した拳法の影響を受け、琉球空手ができあがったものと考えられています。 そのことをしめすようにカラテは当時から長く「唐手」と書きあらわされていました。

琉球の武術に影響を与えたといわれる歴史的な出来事に、尚真王による刀狩と、薩摩藩支配後の禁武政策があります。このため、琉球の人々は刀剣などの武器を使用しての武術を行えなくなりました。琉球古武術は、農具などを武器として利用するために工夫を凝らし、棍棒、ヌンチャク、鎌、サイ(仏具の一種)を用いた独特の体系を築きました。
また拳や蹴りによる打撃に重きを置いた「唐手」が発達することになります。

とはいえ、「禁武政策」がある当時、いくら一般の武器を使用していないからといって、おおっぴらに武術を行うことはできません。 そのため琉球の唐手、古武術は「一子相伝」といったような形での秘密主義をとることとなります。

琉球処分後は一般社会にも開かれることとなり、空手は特に戦後社会においては本土のみならず海外にも多くの競技者を持つようになったのは周知のことですね。歴史に深く結びついて発展してきた空手は、琉球文化の中でも誇りにできるものの一つだと思います。