琉球の音楽はつねに舞踏とともに発展をしてきました。

琉球の古い歌謡「おもろ」も、琉球の音楽と舞踏の深いつながりを示してくれます。
おもろを現代にまで伝えるのは、琉球王府によって選ばれた「おもろそうし」という歌謡集です。
おもろそうしには、「コネリ」「ナヨリ」という舞踏の作法が書かれていて、コネリとは手のひねり方、ナヨリとは体のくねらせ方をいうのだそうです。

琉球音楽、琉球舞踏を洗練させたのは、三線(さんしん)の伝来と組踊の登場でした。
三線は中国から伝来した楽器で、本土では三味線となりました。「ドミファソシド」という琉球音階を奏でる独特の音色には、誰もが聞き覚えのあることでしょう。
組踊は、歌舞伎、能、狂言といった本土の芸能をもとにしてつくられた、琉球の楽劇です。琉歌調の韻文で書かれた台詞を、三線を中心とした音楽にのせ、舞台の上の役者は舞踏するように演じます。

組踊は、中国からの使者(冊封使)を歓迎する宴において演奏されるという、琉球にとって重要な芸能でした。組踊は琉球王朝と結びついて発展したのです。また三線は、高価でもあったことから琉球貴族、琉球士族の間で、高尚な趣味として広まり、琉球の音楽においてもっとも重要な楽器となりました。

また琉球音楽には、上に説明したように王朝によって成立したいわゆる琉球古典音楽とは別に、現在一般に「島唄」ともよばれる土着の琉球民謡があります。
琉球古典音楽以前から庶民によって謡われていたであろう民謡は、組踊の成立には、琉球的性格を付与したでしょうし、後には古典音楽の影響を受け、また庶民の間に三線が広まったこともあって、今私たちが聞くことのできる沖縄民謡の姿となりました。